「他でもいくつか、同様のことを書いている」と、
前置きをさせてもらった上で、私が復刻CDを
作らせてもらうようになった「きっかけ」は、
かつてテレビ朝日系で放送されていた
『日曜洋画劇場』のエンディング・テーマを求めて、私の
ホームページへ無数の質問や要望をいただいたからです。
この演奏(録音)を求めている方達の言っている
テレビ番組の放送時期は、
1970年代から80年代中頃のことだろうと思います。
その頃、実際に放送されていたエンディングには、
レコード・ノイズが乗っていたと思います。
そして、ステレオではなく、モノラルであったはずです。
この「当時に近い音」が、心に残る思い出であり、
所謂、芸術であると考えています。
ですから、ノイズは少ないに越したことはないのですが、
古い録音ゆえの事、それも許せる位の心の余裕は、
鑑賞するために欲しいところです。
そしてCDーRであっても、一般市販のCDのように
プレスして作ったCDであっても、
鑑賞する分には区別もないと考えます。
もう随分前から、SP盤(蓄音機でかけるレコード)の
雑音(通称:ホワイトノイズ)を
コンピューター処理によって、
きれいに消したことをアピールした復刻CDがあります。
でも雑音の中には、細かい息づかいや、
着物の擦れる音なども入っていることがあるのです。
ですから、リアルタイム録音の時代の作品は、
無音の部分であっても、その間という
時の音場には価値があります。
近年では、各楽器の音を細かくコントロールしたり、
左右の分離の輪郭を補正したり、
回転のズレによるマスター・テープのピッチ補正とか、
「見せかけ上」の高音質をうたったCDが
目立つようになりました。
そんなのは、(現代に言う)最初から高音質に録音されたもの
ではなく、ただ単に録音を補正しただけの話で、
本来の高音質という意味とは違います。
高音質に聴こえるように補正すれば、確かに聴きやすくは
なっているのでしょうけれど、
本来の『音楽芸術』って、そういうものでしょうか?
私にしたら、例えば、きれいに目鼻を整形した顔のようです。
自然の美しさを無くしてしまい、
単なる「音のデータ」という扱いに思います・・・
昔の資料なんかには、演奏終了後にマスターテープを
厳しくチェックする楽団指揮者の写真記事などが、
わりと載っていたりします。
その時に完成されたマスター・テープの音こそ、その芸術家が、
それでオーケーを出している「芸術作品」なんだと私は考えます。
もちろん、それぞれの感じ方、考え方があるでしょうから、
何が悪いとは申しませんが。
そして、この話は、
思い出の演奏を求めたレコード(のひとつ)の話へと続きます・・・
以下リンク先の記事へどうぞ。
© 2024 磯崎英隆 (Hidetaka Isozaki)