(これは、2018年以前の当方ブログに掲載したものを加筆した記事です)
陽が落ちかけて、赤い光が差し込む頃、
部分的に目に見える所は、薄暗い闇になり、
もの悲しい気分でいっぱいになる感じ・・・
経験されたことありますか?(笑)
19歳の私が体験した、そんな情景が
一番強く心に残っています。
親族の都合で、私が横浜の祖母の家にひとり住み込み、
祖母の介護をしていた年の暮に
両親、兄弟、飼っていたペット(鳥類)も皆で泊まり、
楽しいお正月を過ごした後、
1月3日の夕刻に皆が車で帰る頃でした。
ペットはともかく、皆はこれから仕事、または学校。
いろいろな用事がありますが、私はというと・・・
毎日「早く死にたい!」とばかり、愚痴ばかり言っている
祖母とともに、将来の見えない日々の繰り返し。
夕方になり、祖母の家から皆が帰る頃、
車の窓から「じゃあね」と声をかけられ、
お互いに手を振り、皆を乗せた車は
赤い夕闇が当たっている中を走って行きました。
ひとり、その場にポツンと残され・・・
家の中に入ると、祖母がこう私に言いました。
「可哀想にねぇ。お前も一緒に帰りたかっただろうに。」
私は一体、誰のために、ここに居るのか?
もう泣きそうになりました(苦笑)
そして思わず、私はまた車のあった場所に行ってしまいました。
まだうっすら、夕陽があったものの、すぐにそれも消えて
暗闇になってしまいました・・・あぁ。
先の見えない、将来の不安。
太陽の光が赤くなって消えて行く時間と、闇になる風景。
これは実際に体験してみないと、わからない気持ち
かも知れません・・・・ もう絶望的な気分でした。
ところで、そのモートン・グールドが初めて吹き込んだ
ムード・ミュージックのレコード・アルバムは、
夕闇にせまる、黒人奴隷達の悲痛な心情を表現した
ニグロ・スピリチュアルだったのです・・・
あまりにも苦しい現実に、自由と幸福を求めて
安らかな死後を願う気持ち・・・ つまり
もう死んでしまいたい程に、悲痛な思いのムードを
表現している訳ですが、それは唄での話。
例え自殺しても肉体が滅びるだけで、魂は霊として
その場に残りますため、これはその時にいる
幽幻界でより一層苦しむこととなるのです。
つまり、死んでも、安らかな状態という
願いは叶わない(死後に、より苦しむ)ことを
私は補足しておきます。
実際には、エンジェルやら身の回りにいるスピリチュアル達が
いろいろ声をかけていても、そういう悲しい心境の時は
心も閉ざされて全部拒否している(聴こえない)ものです。
当時19歳の私もそうでした・・・
まぁ、それはともかく、黒人奴隷が夕闇の中、
もう帰れない故郷、会う事もできない家族を懐かしく
思い出して泣いているような、
そんな情景の悲しいムードなのです・・・
想像するだけでも、もう、いたたまれないですね。
このモートン・グールドの初ムード・ミュージックの
アルバムは、希少というばかりでなく
しみじみと感傷的なムードが伝わってくる作品です。
音楽の感動による経験、発見をお楽しみ
いただけたらと思いました。
© 2022 磯崎英隆 (Hidetaka Isozaki)