何かの感覚を使って楽しめる、本人だけのオリジナル(モノの魅力)

先日、ラジオをつけて聞き流していたら、
最近の若者は「音楽CDを知らない」ということを
誰かが話していて驚きました(苦笑)
まぁ、それもそうかな?とは思いますけれども、
彼らは最初から、スマホのストリーミング・サービスで
音楽を聴くのが習慣になっているのでしょうね。

例えば、LPレコードや、CDアルバムのように、
アーティストや企画者が決めた曲順で
1曲目から鑑賞することも無いのでしょうし、
何よりも、パッケージの魅力を知り得ないのが
もったいないと私は思いました(笑)

パッケージの魅力・・・といっても色々、
そして人それぞれの感じ方があると思いますけれど、
得られたパッケージが、自分のモノとして、
「自分の生活の歴史に取り込まれる」楽しみが
味わえる感じ・・・とでも言えるでしょうか。

これは数年後とか、少し時間が経った辺りから、
「そう言えば・・・」と、
思い出のように、経過時間とともに味わい深くなって
くるのも、当人にしか分からないような
魅力でもあります。
ですから音楽では、ストリーミング・サービスのような、
音楽を使い捨てる感じとは違うんですよね。

結局は、その人の生き方ですから、どちらが
良いも悪いもないんですけれど、紙の本や雑誌と同じように、
作品そのものの「人生の楽しみ方」に影響されると、私は
思っています。
所有したパッケージは、その人のモノであり、
その人の歴史と共に、時間を経過して行きます。
つまりは、そのパッケージそのものも、
所有者のオリジナルということになります。

パッケージを見て、触って、重さや感覚、インクや紙の匂い、
それを手に入れた時の思い出や環境など、全てにおいて
所有者のオリジナルです。同じ音楽を鑑賞するにも、
これがあってのことか、無いままでのことか、
当然ながら記憶という情報量でも違ってきますし、
その(作品の鑑賞と、手に入れた)時の感動が
モノに残りやすいという事も含めて、
心の財産の量が違って来るのではないか?と
思っている次第です。

音楽評論家の青木啓 先生から頂いた手書きの手紙。先生の御名前の入った原稿用紙です。これも封筒に入った手紙という、ある意味パッケージです。SNSでの通信や、電子メールようなものでは、さほど残ることもないでしょう。