写真は朝日新聞の朝刊・・・毎年に思う出来事です。
阪神・淡路大震災のあった当日の早朝、
出勤前に観たテレビでは「何か大きな地震が起きたらしい」というような
ニュースしか流れていなかった記憶がありますけれど、
翌月(2月)になって、私は兵庫県西宮市にて
約2週間の仕事をさせていただいた経験があります。
(時期はこれより前になりますが)
最初に正社員として入社した会社は、もう日常的に
「サービス早出(就業時間よりも2、3時間早く勤務地以外の場所に
行かされて、無賃金での労働)」
「サービス残業(就業時間の定時でタイムカードを押させ、
さらに3時間から7時間もの無賃金での労働)」を社長命令で
社員達に強要していました。
私は一応従うものの、きちんと賃金(早出、残業代)を
支払ってくれるよう言い続けていたので、
社長を含めた経営幹部達から
「会社の言うことを聞けない、お前のような奴は今月でクビだっ!」等と、
職場の従業員達の前で見せしめのように罵倒されました。
その後、月末までの2〜3週間は「お前が悪い!」と
多くの(私より立場が上の)社員達から言い続けられて、
入社から約7ヶ月後(夏のボーナスは無いに等しく、
冬のボーナスを出したくなかったかららしい)で
「自己都合」にされて強制的に退職させられました。
よく精神が持ったものだと(今になれば)思いますが、
理不尽で過酷な経験は、私の人間的な成長に
多少でも役立ったのかも知れません。
でも、7ヶ月で辞めたという履歴書の記載と、いろんな事情で
大学に行けなかったので専門学校卒という学歴も影響して、
次の就職先は、なかなか決まりませんでした。
その最初の会社の勤務地は、東京の恵比寿(本社は五反田)
だったので、今度は少し近くにしたいという気持ちもあって、
本社は東京の浜松町ですが、横浜事業所での勤務とした
ガス関連の会社に、中途採用で入社させていただきました。
大手企業内での社員研修を終えて、しばらくした頃、
阪神・淡路大震災が起こりました。
日本ガス協会からの要請で、ガスの関連会社から(規模に応じて)
数名ずつ現地への応援として集められました。
当時、私が勤務していた会社は、先に1名が約2週間、
現地に赴任し、その後、2名の人選(つまり誰が行くのか)で
難航していたようです・・・
まだ現地は余震もあり、テレビで被害の惨状を毎日見ていますから、
誰も行きたがらないですよね。
社内では、まるで戦地にでも行かされる召集令状が
誰に来るかのような、そんなムードになっていましたが・・・
ある月曜日の昼頃、本社の部長から
上司宛に電話がかかって来ました。
とうとう上司が行かされるのかな?と思っていたら、上司は
私の目の前で、
『自分は忙しいけど、磯崎だったら、いいんじゃないのか』などと言い、
電話は私に代わられ・・・・部長から電話口で
『明日から現地に行ってくれ』と突然に言われました。
私は『入社したの去年の9月ですよ、私で大丈夫なんですか?』と
言い返すものの、まぁ結局、会社命令とのことで、
慌ててその日に2週間分の支度をし、
翌日の朝に東京の本社経由で、
兵庫県の西宮市へと赴任することになりました。
他の社員達もいるのに、なぜ入社5ヶ月ほど(全事業所を
合わせても社内で一番の新人)の私に声がかかったのか?の
理由は、随分後になって知ることになるのですが・・・
ちゃんと現地で仕事ができるのかと、
不安でいっぱいでした。
(現地編に続く)
© 2023 磯崎英隆 (Hidetaka Isozaki)