「働かざる者食うべからず」だと言っている、反知性の人たち。

一般

最近「受給額が少なくて生活が大変だ」と
つぶやいた生活保護受給者を取り上げ、
彼らに対し「働かざる者食うべからず」だと言っている
ショート動画が、おすすめに出て来て観ました。

動画主の主張は
「それなら、生活保護など受給せずに働けばいいだろ!」
とのことで、賛同するコメントが数百件はついていました。
もちろん、きちんとしたコメントもありましたが、
ごく少数でした。

動画主や、賛同するコメントをした人達が、
“理不尽な目にあって働けない状況になってみれば良い”

のにと、筆者は思います。
思わぬ事故、怪我など、あるいは病気で手足が不自由、
または切断したり、精神的な病で
外出できないようになったり・・・することは、
誰にでも本当はあり得ることなんです。

そうなった時、身近に十分な生活(療養)資金を
提供してくれる人がいればいいですが、そうでなければ
生活保護に頼らなければならないかも知れません。

動画主や賛同のコメントをした人たちが、
そうなった時に、まわりから(動画主や賛同のコメントを
した人たちが言っているのと同じように)
「働かないで生活保護なんか、もらいやがって」とか
「自分たちの税金を食いつぶす人たち」とか
「社会のお荷物だ」とか言われて、初めて気が付く・・・
程度の未熟な人たちなのでしょうけれども(苦笑)

その程度の中身の人間と話をしたって、
共存共栄なんて無理です。
理性も知性もない、己の利益のみの立場でしか
考えられない人たちなのですから。

行きたかった(ある)大学に点数が足りず
合格できなかった筆者は、高校を卒業した後、
浪人させてもらっておりました。
その時「母方の祖母の預金、家、土地も含めて、
死ぬまで面倒見てくれたら全部差し上げる」
との条件のもとに、祖母の家に同居してきた伯父夫婦が
“財産をもらえないなら” と言って、
祖母一人を残して、さっさと退去してしまいました。

理由は、その条件を言っていた(祖父が亡くなった時に、
全財産を相続した息子の)叔父が自殺したからです。

筆者の両親も職業を持っていましたし、
親戚も誰も祖母の面倒(身の回りの世話)なんて、
しようとも言いません。
結局、当時18歳の筆者は予備校を辞めて、一人で
祖母の家に住み込み、祖母の身の回りのお世話を
することになりました。
もちろん、無報酬ですし、お小遣いもありません。

母親からは「節約しなさい」と言われ、
レシートも保存し、家計簿をつけさせられ、
入る年金の支出はチェックされました。

祖母には言えなかったのですが、
この時、祖母の預金は(退去した伯父夫婦や、
自死した叔父に)引き出され、
残高はほとんど残ってませんでした・・・・ 

この祖母の介護の話は、他でも、いくつか
書いておりますが、無報酬で、筆者の祖母に対する
感謝でしていたことです。
好きな中古レコードを探しに行くことも、
買うことも出来ません。

なのに、親戚の一部連中は、筆者に電話をかけて来ては、
“財産目当てで、出ていけよ” なんて、当時の筆者に
嫌味や暴言を日常的に言っていました。
家や土地は、自死した叔父の妻(叔母)が相続人になりますから、
筆者が祖母の財産を狙うと言っても、
他に財産といえるようなものは何もありません・・・が、
外野はそういうことも知らずに、
ひょっとしたら自分も相続できるかも知れないと
思っている財産を(まだ18歳の孫が)狙っているなどと
言い出す訳ですよ。
母親は「(彼らに対し)放っておけ」と言うだけでしたが。

スーパーなどに買い物に行って外出中の時でも、
疲れで風邪ひいて病院に行っても、
筆者は「無職」扱いなのです。
誰かに何か聞かれても、立場は「無職」なんです。

生活保護は受けてなくても、
当時の祖母の数万円の年金だけで
生活していた身分で、経済活動は何もしてません。
でも、当時の筆者のやることに、
朝も昼も夜も夜中も、平日も休日も祝日もありません。

そんな状況で「働かざる者食うべからず」なんて
言われれば、祖母と共に、もう死ぬしかありませんよね・・・ 

もし、死んで無になれるのなら、
とっくに自死してましたけど。


追記:
もし誤解される人がいたらと思って、追記します。
自死(自殺)して命を絶った場合、
無にはならずに、相当な精神的 苦痛を伴うことになります。
とりあえずは、辛くても生き延びて
「現状を何とか、やり過ごす」方のがマシなのです・・・ 
筆者はそれを知っているため、現在でも辛いことは多いですが
何とか自死せずに生きてきました。
検索でこの記事が引っかかって御覧になった方に、
今が辛い方もいらっしゃるかも知れませんが、
「消えて無くなりたい」という衝動を何とかごまかして
この世の時間をやり過ごしてください(笑)

いつの間にか出て来た、祖母の家で介護時に使っていたブザー。
2階で勉強していても、祖母がこのブザーを鳴らすと
下に降りて行かなければなりませんでした。

© 2025 磯崎英隆 (Hidetaka Isozaki)

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